谷口編集長の週刊ルアー&フライニュースたまや特別版 第1号

たまや常連さんはご存知と思いますが、私ことたまやシルバークラブ(TSC)会長の谷口は数年前まで「週刊ルアー&フライニュース」という釣り新聞の記者をしておりたまやトーナメントの結果を記事に書いていたのです。1997年からずっと続けていたので記事も50回を超え、ずいぶん多くのたまやトーナメンターを新聞に載せてあげることができました。多くの人が読んでくれたようで、釣りをしていると「谷口さんですよね、記事読んでますよ」なんて声をかけてくれました。すごく嬉しかったので、声をかけてくれた人にはL&Fニュースのステッカーをあげていました(中西副会長もその一人です)。弟にいたってはサインしてくれと頼まれたことがあるそうです(笑)。 今回IT部員さんのお勧めでこのコーナーを持つことになりましたので、新聞の記事を中心に昔のたまやや懐かしい常連さん、名勝負などを書いてみたいと思います。

私が牛久沼を始めて訪れたのは、たしか1994年だと思います。当時は栃木県に住んでおり、地元のバスクラブの平沢君に連れて来てもらいました。その平沢君もたまやボートの常連でしたがもう10年以上会っていません。(平沢君このHP見たら書き込みしてください)。
こんな風に書くとHPを私物化しているみたいですが、こうやって昔の常連さん達の近況を探ることもこのコーナーの目的のひとつと考えています。


まずは記念すべき私の記事が始めて載った新聞です。1997年5月16日号!

嬉しくて池袋のキオスクで何部も買ったのを覚えています。表紙はいしいそのさんですね。どうゆうわけか最初から「谷口兄弟の牛久沼ローカルトーナメント挑戦記」という題を編集部からいただき、気をよくして約8年も続いてしまいました。
記事の内容は4月20日越谷Wingsというショップのトーナメントの記事でした。この大会で私は神社下をアンダーショットで狙い8位に入賞しました。この時使ったワームがテイムコのリトルウェービーという小さいカーリーテイルのパールホワイトでした。牛久沼のうなぎの稚魚にマッチザベイトで、その後気に入ってずいぶん長く使っていました。それを毎回記事に書いていたためそこそこ有名になり、谷和原の釣具屋さんで「谷口兄弟ご用達!」なんて張り紙をして売っていました・・・売れたのかな?
それから、ご存知のとおり現在アメリカにいる弟といつも一緒にボートに乗っており、今でこそ普通になりましたが、いわゆる「ダブルエレキ」を使い始めたのもこの頃でした。弟がエンジニアなので配線を切ったりつないだり全部やってくれました。(私は毎日切ったり縫ったりしてます)。


その記事に載った写真がこれです。いまだに同じ帽子かぶってますね。
記憶の糸をたどると、当時の常連さんで今はいなくなった人では、なんと言っても牛久沼の大師匠小池さん。すごく釣りが上手でしかもそれを皆に良く教えてくれました。今は桧原湖のチャプターで活躍されているようです。「小池さん!ぜひまた来てくださいね。お待ちしています!」もちろんJBワールド我らが鈴木利忠選手もいました。
また、この頃からいてしかも今だにしぶとく残っている人としては、私の記憶が正しければ、大石さん、柳沢君、最近見かけないけど斉藤さん、それからサラリーマンだった頃の遠藤君なんかがそうですね。(もう少しいると思いますけどだんだん思い出しますのでスイマセン)この辺の人達は記事にも何回も載っているはずなのでおいおい掲載していきましょう。
こんな調子でしばらく続けるつもりです。冬に向けて、釣りに行く回数も減るでしょうからお暇つぶしにお付き合いください。

そういえば、どうして記事を書くをのやめたか言いませんでしたね。答えは簡単!不景気で新聞がなくなっちゃたんです(ガッカリ)。でも実は今でも「週刊釣りニュース」にほそぼそと書いてるんですが、なんせ沖釣りメインの新聞でバス害魚論のためかあんまり載せてくれないんですよね・・・早くL&Fニュースの復活を希望する昨今なのです。
(谷口編集長)

今回のキーワード(1997年)
小池さん、リトルウェービー(パールホワイト)、ダブルエレキ